その1.発生から手術まで
日付 | 項目 | 内容 |
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2003.6.27(金) |
発生 |
某市民体育館で、ビーチボールバレーをしていた時のことだった。 ゲーム中、レシーブをしようとして、数歩バックをしたその時、 右足の踵のあたりに、「ガツーン!」と、何かがぶつかったような衝撃が。 この時、私は、自分が、スコアボードにぶつかったと思った。 「なんでこんな所にスコアボードが?」そう、思って振り向いた時、私の背後には何もなく、スコアボードは、当然ながら、はるか彼方にあるのが、目に入った…「じゃあ、今の衝撃は、いったい何?」 それでも、まさか、自分のアキレス腱が切れているとは思っていない私は、 「なんか、足が変…」と言いながら、歩いてコートの外へ出ようとした。が、右足に力が入らない。 その時だった。一緒にプレーをしていたチームメイトの一人が、「それは、腱が切れているから、歩いちゃダメ!」と、声をあげた。 「腱?腱が切れてる?どういうこと?」と、疑いつつも、コートの外に這い出した私であった。 |
病院へ | 体育館のトレーナーにも見て貰ったが、やはりアキレス腱の損傷であろうということで、応急処置をして貰い、病院へ行くことにする。 歩行不能であるから、救急車を呼んでもよい状況ではあったが、とりあえず、騒ぎにはしたくないと思い、チームメイトの車で、病院に連れて行って貰うことにする。 近くのJ医大病院(我家から徒歩5分ほど、現在地からもすぐ近く)には、ベッドの空きがないとのことで、別の病院をあたることにする。これは、結果的には、私にとって幸運だったと言ってよい。 ケガも病気もほとんど無縁の私には、病院のあてなどなかったのだが、後々の通院なども考え、ひとまず、家から徒歩10分程の、駅にほど近い、T整形外科で診て貰うことにする。 この整形外科は、息子が以前、腕の骨折でお世話になった所であり、私もその存在だけは、知っていたのだ。 |
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診断 | 診察室に入った私を、一目見るなり、医師は、「まさか、アキレス腱?」と、一言。 「みたいです…」と、私。 診察台にうつぶせになり、早速診て貰う。「やっぱり切れてるね、ほら。」と、私の脹脛の辺りをつまんで持ち上げて見せてくれた。どうも、アキレス腱が切れていると、この様に持ち上げた時に、踵から先が、ぶらぶらとしてしまうらしい。 レントゲン等の機器での診察は一切なし。医師の触診のみであった。 |
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治療方法 | 治療法について、医師より説明を受ける。 手術@と、保存Aの2種類があるとのこと。 @は、ギブス期間約4週間、その後は装具使用。但し、ここには手術設備がない。従って、手術の場合は、病院を紹介するとのこと。 Aは、ギブス期間約6週間、その後の装具使用に関しては、手術の場合と同様。入院の必要はなし。ここでも、勿論治療出来るが、近所のK医大病院に、保存治療の権威の先生がいるので、一度そこで診て貰うとよいとのこと。 ※当初医師は、ビーチボールバレーと、ビーチバレーボールを混同しており、私をかなりのスポーツマンと、勘違いしていた様子で、今後も今まで通りスポーツを続けていきたいであろうということと、、そのため復帰を急ぐのであれば、手術の方がいいのではないかとの見解であった。その後、私が、只のスポーツ好きの主婦であるということを認識してからは、まあ、そう急ぐ訳でもなかろうから、ゆっくり保存でもいいのでは?という見解に、変わっていったように思う。 仕事のことも気がかりな私にとって、ギブス期間の2週間の差は、かなり大きいいものであった。しかし、手術に伴う入院だけは、何とか避けたい。 よって、私の希望は、「手術はしたいが、入院はしたくない。」と、いうわがままなものであった。 そんなわがままな患者の意思を、医師は快く承諾してしてくれ、「それでは、日帰り手術の出来る病院を」とのことで、すぐさま連絡を取ってくれたのだが、生憎、先方の医師が学会の為不在であった。 結局、今日の所は一旦帰宅し、家族とも相談した上で、ゆっくり考えて、明日又相談しましょうということになる。 この日は、ギブスはまだせず、プラスチックのような添え木の上から包帯を巻き、足は決して着かないように、また、なるべく膝を曲げないように、との注意を受け、松葉杖を借りて帰宅。 帰宅後、会社に電話。とりあえず、しばらく休むことになる旨を伝え、詳細は、追って連絡することとする。 |
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2003.6.28(土) | 治療法決定 | 再度T整形外科へ。「入院なしの手術」とういう私の希望は、昨日と変わらなかった為、医師が、昨日とは別の病院へ連絡を取ることに。 今度は、運良く相手側の医師もおり、手術は明後日の月曜6/30と決定する。 昨日の病院よりは、若干遠くはなるが、たいした差ではない。足の固定はそのまま、紹介状を書いて貰い帰宅。 |
2003.6.30(月) | 手術 | 夫は、仕事の都合がつかないとのことで、友人の車でM医大病院へ。 AM9:00過ぎに到着。そのまま外来で一旦、診察を受け、術前の検査。血圧や、血液検査の結果、特に問題なし。手術は、午後2:00からとのことで、それまでは、自由に過ごしていていいとのこと。かなり時間はあるが、この足ではどこにも行かれない。 特に何も言われていなかったが、手術ということで、朝食は摂らずに来た私だったが、12:00頃までなら食べても構わないとのことで、ひとまず、病院のそばのスーパー内のファミレスへ。 PM2:00過ぎ、いよいよ手術の準備に入る。 まずは、手術準備室へ入り、手術着に着替える。 私にとって、生まれて初めての手術である。怖いというより、正直、ワクワクしていた。 私は、生まれてこの方、出産以外では、入院もしたことがないのだ。 手術室への移動は、ストレッチャーだ。これに乗るのも初めてだ。(出産の時は、こんなんものに乗せてくれないもんね) 手術室は、よくテレビドラマなどで観るのと、大差ない感じだが、それよりももっと明るい感じだった。CDからは、音楽が流れ、リラックスした雰囲気だ。 手術台に移され、麻酔をする。局所麻酔なので、脹脛のあたりに注射をするだけで、さほど痛みも感じない。 手術が始まる。私は、うつ伏せの状態なので、自分では手術の様子はわからない。何となく、「今切ってるな」とか、「なんかひっぱてるみたい?」程度の感覚は、あったように思う。 最初、少し痛みを感じたが、タイミングよく、看護婦さんに「痛くないですか?」と聞かれ、「ちょっと痛いです」と答えた所、麻酔を追加してくれ、その後はほとんど痛みはなかった。 ほどなく手術は終わり、すぐに、ギブスを巻く。 今どきのギブスは、石膏など使わないそうで(石膏のギブスは、かなり重いとのこと)、水で濡らした包帯の様なものをぐるぐると巻いていくと、みるみる固まり、ギブスになるのであった。 ギブスは、膝上までのもので、これで2週間ほど過ごすのだという。これは、かなり不自由な状態である。 手術終了後、再度医師の話を聞く。 今後の治療は、全て近くのT整形でよく、こちらの病院には、もう来なくていいとのこと。T整形の先生に連絡はとっておいてくれるとのこと。術後に、もう一度ぐらいはここまで来なくてはならないだろうと思っていた私には、これはかなりの朗報である。 あとの説明は、以下の通り↓ @2週間後に抜糸、その後膝下ギブスで2週間過ごした後、荷重開始。 A4〜6週間は、再断裂の可能性があるので注意。 B12週後よりスポーツ開始OK。 C可動域の回復は、リハビリで。 その後会計を済ませ、薬(痛み止めと、化膿止めの抗生物質)を受け取り帰宅。病院を出たのは、PM4時過ぎ。手術自体は、1時間程だったと思う。 所で、このM医大病院は、すこぶる感じのよい病院であった。 私が、松葉杖で入口を入った瞬間に、案内の人が駆け寄り、介助をしてくれ、受付まで連れていってくれた。外来の看護婦さんも、手術室の看護婦さんもみな感じがよく、手術時間より早めに着いて、診察室の前で待っている私に、「もう少し待っててね」などと、声をかけくれる。医師もやさしい方で、質問も遠慮なくすることが出来た。術後も、早く帰れるようにと、会計後、すぐに薬を受け取れるように、薬局に手配をしてくれており、実に配慮の行き届いた病院であった。 手術諸費用+薬代=\31,210-(HIV検査料\3,000含む/この病院は、手術の際はHIV検査が必須ナノダ) |
2003.7.1 | 手術翌日 | 麻酔が切れて痛む、ということもなく、朝を迎える。実際の所、いつ頃麻酔が切れたのかは不明。 昨夜は、家事も一切せず、ゆっくり休む。 朝起きて、台所に用意した椅子に座り、朝食の仕度をしようとしたが、足を下ろしていると、血が足先に溜まってくるのか、足がものすごくだるくなり、鈍痛が襲ってきた。 この、朝の鈍痛は、しばらく続いた。やはり、起きぬけは、血液の循環が悪いのか、朝、足を下ろすという状態は、かなりつらいものがあった。よって、家族には申し訳ないが、朝食は、おのおの勝手に食べて貰うこととする。(なぜか、この状態は現在まで続いております) 夏休み前で、息子のお弁当も、もういらない時期だったのは、幸いであった。 午前中に、術後の報告に、T整形に行く。やはり、今後の治療は、こちらでよいとのこと。週末からギブスに窓を開け、傷口の消毒を開始しするとのこと。 ギブス後は、装具というものを使い、松葉杖なしで歩けるようになるには、最低でも、6週間位はかかるだろうとのこと。 なるべく足を高くして過ごし、腿の筋肉が落ちないように、毎日腿の上げ下ろしだけはするようにとの指示と、痛み止めが足りなくなったら、こちらで処方してくれるなどの説明を受け帰宅。 帰宅後、再度会社に連絡。とにかく、ギブス期間は通勤は無理なので、今月いっぱいは休みを貰うことにする。その後のことは、装具になってからの状況をみて、又相談することに。私は、派遣社員の身分なので、派遣元にも連絡。どうやら、クビにはならずにすみそうだ。 とりあえず、これで、心おきなく長期休暇に突入だぁ! |
ここまでのまとめ | 予兆と原因 | 予兆は、あった。かなり前から、走っている時に、アキレス腱のあたりに、痛みがあった。 走り始めは痛むのだが、走っているうちに、痛みはなくなるので、何となく、自分でも騙し騙し走っているという感じではあった。 そのような予兆があったにも関わらず、私は、走っていた。 普段は、9〜10km.走るのだが、ビーチの前は、いつも走るのは控えめに、6〜7km程度にしている。断裂当日は、やけに調子がよかったので、10km.走ってしまった。これだけでも、かなり負担がかかっていたと思われる。ここに、ビーチでかなりの瞬発力が加わり、耐え切れなくなったのではないかと思われる。 予兆の段階で、医師の診察を受けていれば、結果は違うものになっていたかもしれない。 |
病院の選択 | 近所のJ医大が満床だったことは、結果的に、私にとって、ラッキーであった。 大体、この近辺の人は、アキレス腱損傷の際、この病院に行く。が、この病院は、「満床」という言葉からも察せられる通り、基本的に、手術+入院という治療法で、入院期間は、1ヶ月にものぼるということだ。 私が、最初に電話をした際にも、「入院になると思うが、今ベッドに空がないので、他に行って下さい」と、断られたのである。 従って、保存療法があるということや、ましてや、日帰り手術という方法もあるということを、知っている人は、周囲には誰もいなかった。 T整形に行ったのは、全くの偶然ではあったが、おかげで、自分の希望通りの治療法が選択出来た訳である。 |
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薬 | 普段、ほとんど病気をしない私は、薬というものに慣れていない。 痛みにに関しても、我慢強いのか、鈍感なのか、痛み止めの使い所が、よくわからない。 痛いことは痛いのだが、「この程度で使っていいのだろうか?」と、考えてしまい、かなり我慢したように思う。結局、術後に貰った痛み止めの座薬は、たった1回しか使用しなかった。 我慢しないで、もうちょっと使ってもよかったかな?と、ちょっと思う。(笑) |